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COLOMBIA

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Historia コロンビア略史

1.インカ系文化の影響下の先住民(インディヘナ)の国であったが、スペイン人が現在のコロンビアを発見し1500年にカルタヘナに最初の植民地を建設した。黄金細工が豊富なことから黄金伝説が生まれ征服者の意欲を誘った。
1525年チブチャ族の集落であったボゴタを制圧し、1538年ボゴタ市を創設した。当時のヌエバ・グラナダはペルー副王の管轄下にあったが、1717年には臨時的にボゴタに副王府が於かれた。
18世紀の終わり頃から独立運動が激化し、スペイン本国の混乱に乗じて1810年7月20日ボゴタで独立宣言が行われ副王が追放された。1819年8月7日にスペイン軍主力を降伏させ独立の基礎を固めた。同年12月17日に現在のコロンビア、ヴェネズエラ、エクアドルを包含する大コロンビア共和国の結成が宣言された。

2.独立後から20世紀半ばまで支配者層の主導権争いが顕著なものとなり、政変や内乱等により国内が混乱した。保守党(伝統的な大地主層を中心にカトリック教会の権威を背景にする)と自由党(新興企業家層を中心に反教主義・自由経済を標榜)は結成当初から主導権を巡り対立し、時には暴力を伴う武力紛争にまでエスカレートした。
1899年には、両党派の相剋は極限にまで高まり千日戦争と呼ばれる内戦が発生し、10万人以上の死者が出た。こういった両派の対立・紛争は、20世紀唯一の軍事政権(1953-1957)を誕生せしめる結果となった。

3.保守党と自由党は軍事政権から主導権を取り戻すために国民戦線協定(FRENTE NACIONAL)を結び、1958年から政治闘争の凍結、両党から4年毎に交互に大統領を選出し、閣僚や国会議員等も折半するという変則的な合意を取り交わし、政争の沈静化を図った。この協定は政局に一応の安定感をもたらしたものの、他の政治勢力の国政参加を認めず、政治の閉鎖性を高める結果となった。これは左翼ゲリラ問題の一因ともなったと言われる。
同協定は1974年に解消し再び政治的競争が行われるようになったが、二大政党を中心とする基本的な政治構造はその後も大きく変化していない。一般的に、自由党への支持は保守党のそれを凌いでいる。(1974年以降に就任した6大統領のうち5名が自由党)また、80年代後半から活発化した麻薬組織によるテロ活動はここ数年沈静化したものの、コロンビアは左翼ゲリラや右翼私兵組織(Paramilitares)による暴力、テロ活動に引き続き悩まされている。

4.1994年に就任したサンペール大統領は、選挙活動への麻薬資金流入疑惑により下院弾劾委員会の調査を受け、対外的には対米関係が悪化する等困難な状況が続いた。96年、下院は大統領を無罪と判定。その後、サンペール政権は麻薬対策強化策を打ち出し事態の打開に奔走し一定の成果をあげたが、同政権が当初志していた経済、和平問題、社会政策分野の多くの課題は残されたままの状況にある。
1998年には保守党のパストラーナ大統領が就任し、FARCと直接対話が始まった。また国家開発計画「Plan Colombia」を打ち出し和平推進及び麻薬対策のための国際社会との強調を図った。しかし、パストラーナ政権下でも和平交渉は進展せず、経済運営の失敗等により国内の治安も悪化した。
2002年には二大政党以外の独立系候補アルバロ・ウリベ現大統領が就任し、強力なリーダーシップで国内経済の建て直し、軍事力・警察力の増強による治安回復を果たしている。また、憲法改正をし大統領の再選が初めて可能となり、2006年の大統領選挙で見事再選を果たしている。

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