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Leticia, COLOMBIA

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Leticia レティシア市

 レティシア(Leticia)はコロンビア共和国南部、ブラジル、ペルーと国境を接するAmazonas(アマソナス)県の首府であり、当国ではエコ・ツーリズムの都市です。
 地図を見ていただくとわかりますが、アマゾン川に繋がる部分だけ台形に延びています。この台形部分はTrapecio Amazonicoと呼ばれています。ペルーとの間で領土を巡る戦争が行われました。最終的に1922年に、ペルー、ブラジルとの協定を締結しコロンビア領になりました。それまではSan Antonioと呼ばれていましたがこれを契機にLeticiaと名づけられました。ちなみにLeticiaは女性の名前で、本協定に活躍したManuel Charon氏の奥さんの名前だそうです。
 アマソナス県の人口の多くは先住民でHuitotos, Yaguas, Tucanos, Ticunas, Camsas, Ingasなどが住んでいます。 このうち、Leticia周辺にはTicuanaを中心に3民族ぐらいが居住しています。


基本情報

  • 人 口:32,450人(05年, Amazonas県80,487人)
  • 出生率:3.74人(05年,Bogota市2.13人)
  • 気候帯:熱帯気候(平均気温30.0℃。)
  • 面 積:57Ku
  • 地 勢:南緯4度09分
          西経69度57分

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Historia 歴史

 Leticia初期の歴史については、スペイン人及びポルトガル人が最初にアマゾン川を探検したときに遡る。このアマゾン川で乗組員と共に命を失ったポルトガル人探検家が最初に到達したと言われている。 ペルー政府がこの区域を植民地化しようとした時に、「サン・アントニオ」と記された十字の標石を発見したことから、新しい町は、この十字の名にちなんで「サン・アントニオ」と名付けられた。

一方で、「Leticia」の起源には神秘的な伝説がある。1つの伝説はコロンビアの兵士がLeticiaいう名前のAmerindianの女性に恋し、彼女の名にちなんで名付けたといわれる。また一方では聖者Leticiaの名にちなんで名付けられたとも言われる。

これらの物語や伝説の真偽はわからない。とはいえLeticiaはペルーによって最初に「サン・アントニオ」と名づけられることとなった。

ペルーとコロンビアの間で国境を巡る戦争が1911年に勃発した。1922年に和平合意が結ばれ、Putumayo川の南部地域との領土交換により、コロンビア政府のLeticia領有が確認された。しかし、ペルー側の国民はこの結果に大いに不満を抱くことになる。

前述の不満を募らせたペルーは1932年9月には再び、ペルー軍隊の支援を取り付け200名のペルー人がLeticia市の公共施設を占拠することから紛争が再開した。1933年初頭には、コロンビア軍及びペルー軍の間で白兵戦が行われた。両国間の対立は1993年5月まで続き、その後に両国間での交渉が継続され最終的に、1934年6月にコロンビア領であることが確認され停戦に至った。

【参考:Wikipedia、英語版、西語版】

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