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職場のメルマがに書いた記事の転載です。
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シリーズ「多文化共生と日系人」

〜最終回 中南米から日本へ〜

シリーズで職場のメルマガに書いてきましたが、これで最終回です。
  皆様、この連載も今月で最後となりました。
 この中部地域には多くの日系人が居住しています。中部地区にお住まいの皆さんに、海外移住史を知って頂きたく始めました。
 今回は、いよいよ佳境で現在につながって行きます。
 日本が高度経済成長期から安定成長期に入り、産業化や工業化の流れで労働力不足という問題が発生します。一方で、中南米諸国では急激なインフレや経済の不安定さもあり、80年代から戦後移住の1世などが、日本に就労に来るようになります。
 また80年代半ばになると日本の国籍を持つ移住者や2世などの家族呼寄せなどもあり、数が増えていきます。
 そして、80年代後半に入るとちょうど、日本はバブル期を向かえており、日系人のみならずアジア諸国からも多くの人達が就労に来ます。
 90年には「入国管理法」が改正されると、2世や3世の就労が増えていきます。
 滞在形態も短期滞在型から、家族単位で来日する人達が増え、定住型に変わってきています。
 この中部地域、三重県、愛知県、静岡県、岐阜県はたくさんの企業や工場が集中しており、多くの日系人が就労しています。
 私の家も水産加工を行なっていましたが、海外からの就労者がいないことには事業を継続することはできませんでした。
 また、今後の日本は少子高齢化や高学歴化が進み、様々な分野で労働人口の不足が懸念されています。
 中部地域の都市では、日系社会が形成され、日本に住む日系人たち自身の就労問題だけでなく、子供たちの教育や地域住民との関係も重要な課題になっています。
 各都市においては、「多文化共生事業」が行政の取組み課題となっていますし、テレビや新聞などでも特集を目にすることがあるかと思います。
 日系人と日本人、双方に困難がありますが、これまで私たちの祖先が積上げてきた歴史の中に、解決策が隠されているのではないかと思います。
 海外移住に興味をもたれた方、日系人の友達がいる方々、是非、JICA横浜に併設されている「海外移住資料館」を訪れて下さい。
 そして、私たちの祖先がどのような思いで海を渡ったのか、今、日本にいる日系人がどのような思いで日本に来ているのか、立ち止まって考えてみてはいかがでしょうか。

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