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職場のメルマがに書いた記事の転載です。
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シリーズ「多文化共生と日系人」

海外移住

 この中部地域には多くの在日外国人が住んでいます。  その多くは、ブラジルやペルーから来ている移住者の子弟である日系の方たちです。

 行政も、「外国人集住都市会議」のメンバーになっている市長村が多く、また「多文化共生」が各自治体での取り組みの柱になっています。

 でも、あまり海外移住者のことを知らないのではないでしょうか?
 NHKで10月に「ハルとナツ」というドラマが放映されましたが公式サイトにはこのドラマを通して「はじめて移住者の存在を知った」との書き込みが多く見られました。

 中部エリアに在住の皆さんには、是非、移住の話や日系人の話を知って欲しいと思います。
 日本は「鎖国」をしていたとのイメージが強いですが、「鎖国」が始まる 江戸時代以前は、多くの日本人が海を渡り、海外へ渡航していたようです。

 支倉常長の慶長遣欧使節団が太平洋を渡りローマ教皇を訪問したことは歴史で習った方も多いのではないでしょうか。
 既にその時代から、海を渡り海外移住をする人たちもいて、室町時代から江戸時代初期までの間に、日本人移民のひとつのブームがあったようす。

 この時期には、東南アジア各地に日本人街などが作られていました。
また、東南アジアを経由地としてメキシコやペルーなどでも貿易をしていた日本人もいたようです。この頃から商社マンが活躍していたんですね。

 江戸時代初期(1612年)に、駿河藩沼津出身の山田長政がシャム(タイ)に渡り、活躍しています。最後にはタイの一地方の王国・六昆(リゴール)の王にまでなったのは有名ですよね。

 当時は、シャムだけでも1,500名以上の日本人が住んでいたようです。
この頃には、商人のみならず、関が原の戦いや大阪冬・夏の陣で破れて亡命した人たちも多くいたようです。

 しかし、徳川政権が安定してきた1633年ごろになると、皆さんがご存知のように、幕府の「鎖国政策」のため新たに海外へ出ることができなくなりました。
その後、日本人の海外渡航は、明治維新(1868年)とともに始まりました
。                           つづく・・・

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