My Journey Report




1990年代の旅行記Viajes Top2000年代の旅行記

1992年12月 アルゼンティン(ブエノスアイレス、メンドーサ)
初めての海外旅行。大学山岳部の野口と二人で南米最高峰のアコンカグアへ登りに行くことに。
英語もスペイン語もできない僕はドキドキ。初めて乗る飛行機にオオはしゃぎ。でも、経由地のトロントが大雪で空港閉鎖。お腹空いたけど米ドルしか持っていない。何とかクレジットカードで支払うものの、初めてだけに使い方が良くわからない。レストランの兄ちゃんが何か言ってるがまったく理解不能。結局「チップをくれ」ってことだった。
「コーヒー」が通じないのには吃驚!英語の発音が悪いらしい。こんなこと学校じゃ教えてくれなかったぞ!
何とか振替え便が飛ぶことに。着いた先はなんとブラジル。空港で野口は熱を出すし、米ドルは両替も出来ず、何も飲み食いすることが出来なかった。何とかブエノスアイレスへ到着したけど、ホテルは見つからない、出だしから波乱万丈でした。
アコンカグアも無事登頂して、心に残る旅行でした。


1993年9月〜94年3月 アメリカ合州国(ワシントン州ベリングハム)
ワシントン州ベリングハムにある、西ワシントン大学(WWU)に半年間留学体験。英語は苦手だったけれど、ルームメイトのジェイソンやジョンと楽しく過ごした半年だった。
周囲が日本人ばかりで、長い修学旅行って感じだったけどアメリカンのルームメイトがいてよかった。ちょっぴり英語も上手くなったかな?
米国滞在中にスキー、スノーボード、シーカヤック、スキューバ等々を体験。アウトドア天国という感じだった。また、インドアのクライミングやマウンテンバイクもフィールドが非常に充実していた。
バンクーバーも近くて、週末にはウィスラーやブラッコムスキー場へ行って思いっきりボードを楽しんだ。スキー場の広さに驚き!! とにかく滅茶苦茶デカイ!!冬休みにはアラスカへ行き、オーロラを見た。アラスカ鉄道でデナリ国立公園を横断。残念ながらマッキンリーは見えず。でも、ここで植村直巳が亡くなったんだと思うと感慨深かった。
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1994年8月 フランス、スイス(ツェルマット、シャモニー)
高校山岳部の後輩たちと、モンブラン、マッターホルンを登りに行った。まず、キャンプ場の設備が整っていることに驚き。幕営料は高いけれど、温水シャワーなどを完備していた。
モンブランを登りに行った時には食料を持っていないことに誰も気付かずあわてた。結局非常食と予備食で食いつないだ。下山時にみんなで分け合ったコンソメスープは美味しかった。
下山も登山時とは別ルートで下ろうと、突然決めて氷河の中を彷徨ってしまった。よく無事だったとあとで考えるとヒヤヒヤです。
マッターホルンは、下山時に雪、雨、霙に悩まされる。8環を落としてしまう失態を演じた。落石は起こすし、精神的・体力的にもかなりハードだった。
登頂後は、後輩の友人スイス人宅を訪ねたり、パリを観光したりとのんびりする時間も持てた。テントとユースでの宿泊の旅だったが楽しい旅行だった。
アルプスでは登頂後に、氷河でスノボーも楽しんだ。
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1995年3月 スペイン語学留学
大学三年の冬。このまま普通に卒業してしまって良いのか悩んだ。
子供の頃に祖母からいろいろ聞いたパナマでの生活。初めて行った南米の雰囲気が忘れられず、中南米で数年間住んでみたいと思った。
いろいろ探したが、情報はスペインやメキシコばかりだった。とりあえずスペイン語を習得し、青年海外協力隊や日系青年ボランティアに応募してみようと考えた。
流されやすい性格なのでスペインでも日本人が極端に少ない都市を見つけて勉強することにした。そこで見つけたのがValenciaから少し離れたPicassentという街の学校に通うことにした。朝は、通学バスで子供達と一緒に行き、一人暮らしのおばあさんの家にホームステイをした。
この家では沢山のホームステイを受け入れた経験があり、どんどん買い物やお使いに出された。また、小さな孫達が週末に遊びに来るので、いやでもスペイン語が上達した。
クリスマスには弟二人がスペインに遊びに来て、兄弟3人でお世話になった。
帰国前の2月には大学の同期が卒業旅行でスペインに来たので、ボード三昧の日々を過ごした。
今までで一番勉強した一年間だったかも知れない。
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1996年9月 コロンビア長期滞在
スペインから帰り、就職活動を行いながら協力隊の説明会に行ったりしたが、特に人に教えられるものを持っていなかったので、路がなかった。そんな時、野口から在外公館派遣員制度を教えてもらい、試験を受けることに、殆どだめだと思っていたが合格しコロンビアで勤務することになった。
初めての海外長期滞在だったが、着任時はスーツケース2個だけだった。
初めての社会人経験だが、周りは良い人に恵まれ、知り合うコロンビア人も良い人達ばかりだった。あっという間に任期の2年間が終わり、半年間延長をさせてもらい帰国した。
青春時代のこの2年半が忘れられず、就職は南米、コロンビアと関われる自分が感動できる仕事に就きたいと思いそのような会社を探して回った。時は大氷河期だったが、コロンビアでの経験が活きたのか、行きたかった会社2社から内定をもらう事ができた。
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1999年9月 コロンビア・パナマ旅行
コロンビアから戻り、夏休みに再びコロンビアに遊びに行った。前回の滞在で知り合ったコロンビア人宅に泊めてもらいながら友人宅を回ったりした。
併せて、隣国パナマへ旅行に行く。祖父母が住んでいた家を探したが、通りの名前等が変っていて結局見つけることが出来なかった。
パナマは運河の管理・警備等を目的に米国軍隊が駐留していて運河近辺の丘は一帯が米国領になっている。祖父母は漁師をしていて、取れた魚は米軍に売っていたとのことだ。
旧市街はタクシーで回ったがあまり治安が良くないようでタクシー運転手は歩くのはやめた方が良いとのアドバイスをくれた。こじんまりとした街で、なんとなく好きになった。

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