Mountain Diarry
ヨーロッパアルプス(モンブラン〜マッターホルン)94年8月9日〜9月13日
<ヨーロッパ・アルプス編>
大学3年の8月。12月の南極ヴィンソンマッシフ遠征を前に、高校時代の山岳部後輩たちとヨーロッパアルプスへ遠征した。
メンバーは2学年下の後輩、ヒデキ、クリ、紅、まっつと僕の5名。とりあえずパリ往復の航空券を購入し、後は臨機応変のテント生活。
いま振り返ると、結構危なかったと思うが、当時は体力と気力だけは人一倍の仲間たち。無事に戻ってこれて良かったです。
旅行ノートを紛失したが、登山記録帖だけは残っているので分かる部分だけ記載したい。
(HP作成日:2006年3月11日)
8月9日成田出国8月15日モンブラン登頂
8月30日マッターホルン登頂9月13日成田帰国
1994年8月9日〜9月13日
ヨーロッパ・アルプス遠征    写真

高校山岳部の後輩たちとどういう経緯か覚えていないが、ヨーロッパアルプスのモンブラン、マッターホルンに登りに行くことになった。確か、12月の南極遠征を前に、高所に登っておいた方が良いという野口のアドバイスを得て、高校時代の仲間たちとアルプスへ行くことになったと思う。
8月8日には、千葉の習志野に住んでいた高校山岳部同級生宅に皆で宿泊し、そこから成田に向かった。
パリに着いたときは、既に10時過ぎタクシー2台に分乗して予約していた宿に着いた時には夜の12時近かった。みんな流暢に英語はしゃべれず、しかも宿は英語が通じない。先がどうなることやら・・・
翌日はユーレイル・パスを使ってシャモニに入る。キャンプ施設はちょっと高いが温水シャワーや奇麗なトイレを完備していて、日本の天場とは大違い。また、テント泊の人達も沢山いた。町にはスーパーやボーリング場、バーなど何でもそろっていて、キャンプ場というよりは町の中にキャンプ場があるという方が正確だ。お金のある人達はホテルに宿泊して、アルプスの眺望を楽しんでいる。

8月13日〜16日いざ、MontBlancへ!!
8:00キャンプ場にテントを残して、いざ出発。
8:32にシャモニ駅を出て登山電車に乗りBellvevue駅に到着。一気に標高1,794mまで登った。この日はTETEROUSSE小屋に宿泊。一人140Fしたが食事などには大満足。

翌朝14日は8:05に小屋を出発し途中からアイゼンを装着する。15:16にVallot小屋(無人)に着く。なんと、共同装備の食料を皆忘れていて、誰も持っていないことに気がついた。途中で気がついたが行動食だけでは育ち盛りの胃袋を満足させることは出来ず、終日、みな腹を空かしていた。
さらに、小屋に着いたときは人も少なくて悠々と使っていたが、そこにチェコ・スロバキアの大集団が到着。狭い小屋に50名弱が入ってしまったため、膝を抱えて眠ることになった。腹は減るし、狭くて苛立つし散々な一夜だった。

15日の朝は、5:45にヘッドランプを着けて小屋を出発。6:30に日が昇り暖かくなってきた。順調に登り進み、8:10にヨーロッパ・アルプス最高峰の頂に立った。皆で記念撮影をし、8:30に下山開始。
9:18にVallot小屋に戻り、非常食のスープと行動食のパンを食べて腹を満たす。ここから、せっかく来たのだから、登りとは違う道を下ろうと僕が言い出し悲劇が始まった。
現地で地形図を購入したものの、日本とは違い等高線も細かく入っていないしどのように読んだら良いのか分からない。
とりあえず、これまで鍛えてきな方向感覚と感を頼りに下っていったが、大氷河の中に入り込んでしまった。
氷河には大きなクレバスがいたるところに入っており、ザイルでコンテを取りながら下っていった。目の前に山小屋が見えとりあえずそちらの方向を目指す。
たどり着いたのはRef. Grandes Mulets(偉大な壁)という小屋だった。ここで少し食料を調達し、ルートを確認してさらに下り続けた。18:30に氷を脱出し、やっとアイゼンをはずす。時間的にキャンプ場まで下山は出来ないため、19:45に古いロープウェイ小屋(Las Graciers)でビバークすることにした。明日は確実に下山が出来るので、非常食、予備食を使いきり、豪華な食事を取った。山に入ってからろくなものを食べていなかったので、お湯で溶いただけのコンソメスープがなんと美味しいことか。また、予備食として持っていたお赤飯、五目丼、炒飯、ポタージュなどすべてを食べつくした。ここから、シャモニの街が一望でき、奇麗な夜景を眺めながら眠った。

翌日16日は、11:15に小屋を出発し11:59にロープウェイに乗り、13:25にテント場に着いた。食料は忘れるし、氷河の中で迷うし、考えると危険と隣り合わせスレスレだったと思う。
シャモニでは、大学の英語の先生(米国人)とばったり会った。彼女はその後、山で遭難して亡くなってしまった。
Topへ戻る

モンブランに登頂した後、シャモニでボーリングを楽しんだりのんびり休養をした後、スイスのツェルマットに移動した。紅君はシャモニで帰国。ここからは4名での行動となった。
ツェルマットも温水シャワーを有したキャンプ場があり、スーパーやバー、レストラン、登山用品店なども完備されていてとても過ごしやすい場所だった。

8月21日クラインマッターホルン、ブライトホルンへ
この日は、高度になれるためリフトに乗ってクラインマッターホルンに向かった。
朝、7:07にキャンプ場を出発し、7:37発のリフトに乗った。クラインマッターホルン駅でおり、アイゼンを着けて9:37出発。10:20にはブライトホルン山頂に着いた。天気は快晴だが風がとても強い。
高所でぶらぶらしながら12:34にロープウェイに乗り、13:48にキャンプ場に帰る。

8月23日-24日マッターホルンへ 第1回目の挑戦
朝、9:35にテント場を出発。今度はしっかりと食料を背負ってリフトに乗った。Schwarzsee駅で降りてHornli小屋を目指す。
13:28にヘルンリ小屋に到着。この日は天気が良くなく、明日は雪になると小屋の親父が言っていた。1泊56F。
翌朝、やはり天候が悪いため、下山する事にした。お金を節約するため歩いて下山。途中の景色は「アルプスの少女ハイジ」そのものだった。航空券は1ヶ月オープンのチケットなので時間は余裕がある。また、天候が良い日を狙って登ることにする。

8月25日ハイキング
昨日の天候が嘘のような快晴。
今日は、各自個人行動となったので一人でハイキングに出かけた。長い地下トンネルを走る電車でLeiseeまで登り、散策をする。山の規模が大きくて迷いそうだ。途中に湖を見つけたらマッターホルンが奇麗に写っていた。

8月29日-31日マッターホルンへ 第2回目の挑戦
今日は少し曇り空。しかし、案内所の天気図を見てこれから良くなると予想し再挑戦することにした。朝、11:05にテント場を出発。15:05にヘルンリ小屋に着く。気温は10度。前回より少し低くなっている。
翌朝30日、4:20に小屋を出発。満点の星が出ていて快晴だった。誰よりも早く出発したが、ルートを間違えていて、戻ることになる。他のパーティはガイドをつけているが、僕らはお金が無く、自分たちだけで登っている。
6:35に夜が明けて明るくなってきた。6:49には太陽が顔を出してきた。7:04にはSolvayに着く。標高4,000m気温0度。ここまでは順調に来ている。天気も晴れたり曇ったりしているがまだ持ちそうだ。
10:10ついに、マッターホルン山頂に立った。そこには十字架が輝いていた。山頂では何枚も写真を撮ったりしているうちに最後のグループになっていた。11:00下山を開始する。
15:00にSalvay小屋に着く。天気が崩れてきた。雹と霰がまじった吹雪になっている。ここでビバークをするか、下山するか迷ったが、下山することに決めた。
登山は登りより下りの方が迷いやすいというが、この山は山頂が切り立っているだけにどこを通っても頂上に着くが、下りはしっかりと道を見つけなければならない。僕らは道をロストした。
さらに天候は酷い雨になり、みんなびしょ濡れになりながら、懸垂下降を繰り返す。リーダーとして他のメンバーを励ましたり注意を与えたりしながら下ったが、真っ先に自分がエイト環を落としてしまった。幸い、ヒデキが予備を持っていてそれを使った。これまで、こんなに懸垂下降を繰り返したことがあっただろうか。合計で20本位は懸垂下降をしたと思う。
21:53やっとヘルンリ小屋にたどりついた。下山に11時間もかかってしまった。小屋に入ると中にいた人達が拍手で迎えてくれたのには感動した。僕らのヘッドランプが見えていたらしい。
みんな体力はあったが、流石に疲れ果てた。小屋で暖かい食事を取り、泥のように眠った。
翌日も天候は良くなく、9:34に小屋を出発し、11:32にテント場にたどりついた。
モンブランに続き、若さゆえの強行軍を繰り返してしまった。下山では巨大な落石をしてしまったり、はらはら、しっぱなしだった。しかし、山頂から見た景色は素晴らしく日本とはスケールが違うと実感をした。

マッターホルン登頂後は、ツェルマット周辺のスキー場で氷河をボードで滑ったり、のんびりとした時間を過ごした。ヒデキの友人の家族がレマン湖のほとりグリエールに住んでいたので、グリエールを訪問し、レマン湖クルーズをしたり、グリエールチーズの工場を見学した。最後はパリに戻り、ユースホステルを拠点としてルーブルなどの博物館を巡ったり、パリの蚤の市を回った。
初めて本場のチーズフォンデュを食べたし、キャンプ場のバーで素晴らしいカクテルを飲んだり、スーパーが近かったため食事も楽しみながら作る事が出来た。やはりチーズとソーセージがとても美味しく、いまだに忘れることが出来ない。
言葉が通じなかったり、仲間で喧嘩をしたり、危ない目にあったりしたが、青春の良き1ページを綴ることが出来た旅だった。
Topへ戻る